※定員に達したため応募を締め切りました。
ドキュメンタリー番組はお好きですか?
私は、仕事柄、いろんな企業、働く人のドキュメンタリーを見るのが好きで、その人の生き方や、その会社が今まで歩んできた道のりを見ては、すぐ感化されてしまう人間です。
そんな私が注目する、企業専門のドキュメンタリー制作やインターネットTV局を運営する、一風変わった映像制作会社が福岡市にあります。
福岡市の中心部、天神の昭和通りにある、ピエトロビル。
その8階にあるのが株式会社カウテレビジョンです。
カウ(COW)というだけあって、入り口にはたくさんの牛の置物が置いてあります。
今回は、募集する営業事務・制作サポートとして一緒に働くことになるママクルー(社員のことをクルーと呼ぶそう)の牛島さん、経理を担当している同じくママクルーの山下さんと社長の高橋さんにお話を伺いました。
入社の決め手は社長のポジティブさ。ママクルーの働き方とは
元々映像制作の仕事をしていたという牛島さん。
結婚後も仕事を続けていましたが、働き始めて5年ほど経ったころ、ちょうど出来ることが増え、これから楽しくなるぞ!というタイミングで、ご主人の転勤により、泣く泣く離職をしたそう。
「子育てがひと段落するまで、働く機会はないんだろうなって自分の気持ちに蓋をする部分もありました。そんな中、2018年に再就労イベントに参加したことがきっかけで当社と出会ったんです」
瞬間的に社長のポジティブさが伝わり、チャレンジすることにした。
「やってみてダメだったら、まだそういう時期じゃなかったって思おう。マイナスになるわけじゃなく、ゼロに戻るだけなのでまずやってみようって」
子育てしながらの仕事。
「ここは朝言っていた話が夕方には変わるほど、目まぐるしい会社なんです。初めはついていくのに必死でした」
あまりにバタバタしすぎていると、ご主人からこう言われることもあったそう。
「そんなに頑張らなくていいよ」と。
でも、「私がやりたいから頑張ってきた」という牛島さん。
「ここに来るとすごくエネルギーがもらえるんです。家族以外にありがとうって言ってもらえるのがすごくうれしかったですね。クルーみんなが『来ているだけでOK』『電話かけてくれてありがとう』、とよく褒めてくれるんです。それでお返ししたい、何か役に立ちたいという想いがどんどん増えていって今に至ります」
正直なところ、辞めたいと思ったことはないですか?
「ありません。仕事を続けられているのは、やっぱりお役に立てている、という部分に尽きます」
現在の仕事は営業事務・制作サポート。
繋がりを持ちたい新規の企業様への電話アポイントや、すでに繋がりのある企業様への定期訪問が中心だ。
以前は映像制作のお仕事をされていたそうですが、制作や取材に行きたいと思う事はありませんか?
「制作や取材もやりがいはありますが、自分の目標や目的を実現してくれる方のサポートをするお仕事も、自分のビジョンの延長線上にあると考えています。家庭と仕事を両立できる働き方ができて、さらにお役に立てることが幸せです」
本来やりたい仕事をダイレクトには出来なくても、それを担うスタッフのためならやりがいを感じるということですか?
「はい。これも全て、事業への共感から来ています。自分の仕事であるアポイント、とくに新規顧客への電話アポは緊張します。テレワーク時は、横で聴いていた夫から『僕だったら怖くてできない』って言われたこともあります」
「私も怖いですよ(笑)でも、その延長線上にはクルーが次につながる面談をしてくれるという信頼があるから取り組める。いつも若手に教えてもらっているから、私もできる限りやりたいと思ってやっています」
『3ドタOK!?』独自ルールで両立できる環境とは
次にお話を伺ったのは、経理を担当する山下さん。
前職は会計事務所で事務をしていて、ブランクが10年あったという。牛島さんと同じく、出会いは再就職イベントがきっかけ。
「最初は、何をしたいかよりも、何だったら出来そうか、という視点しか持っておらず、同じ業種の延長線上にあるお仕事を何となくイメージしていたんですが……こんなクリエイティブな会社で働くことができるなんて思ってもみませんでした」
「再就職イベントに参加したことがきっかけで面接のご縁をいただいたんです。社長のポジティブな考え方や人柄にひかれ、インターンにチャレンジさせていただくことになりました」
日々魅力的に感じるものの、ここでやっていけるのかという不安もあった。自分に何ができるのかとずっと考える中、インターン後に入社。山下さんにとっては新しい世界、チャレンジだった。
「子どもが3人いますが、子どもからもらったインフルエンザで、なんと初日からお休みしたんです……。「3ドタOKルール」で大丈夫と言ってくださいましたが、本当にいいの?って」
「針のむしろのようなスタートだろうなと思いきや、すごくあたたかく迎えてくれました。そこで初めて、こんな世界があるんだ!って思えたんです」
コロナ禍でのスタートだった山下さんにとっては、不安も最高潮、様々な葛藤もあった。
それでも、ドタ遅刻・ドタ早退・ドタ欠勤OKの『3ドタOK』や『テレワークOK』、『子連れ出勤OK』等独自のルールで両立できる環境があったことで、不安が減っていったそう。
「当社には5名のママクルーがいますが、家庭の状況はバラバラで、幼稚園・保育園のお子さんを持つ方も。半年に1度、契約更新のタイミングで社長の高橋・執行役員の元吉とざっくばらんに話ができる場があります」
「この期間はセーブしたいとか、後々もっと働きたいとか。仕事の分量・負担がないかとか、こういう仕事にチャレンジしてみたいなど、自分の意向や家庭の状況について話すんです」
「今回の求人も最初のスタートは営業サポートといった補助がメインになりますが、その時の状況、本人の希望でいろいろ変わると思います。今はこの業務が忙しいから、こっちをお願いといったこともありますし、今回はリモート中心のため、お近づきになる方法も工夫していこうと思っています」
働きやすさの一方で…
・やる前からできないという人
・スピード感があるので、テンポの速さを楽しめない人、
それがストレスになる人は向かないかもと、ママクルーのお二人が教えてくれた。
牛島さん、山下さんの話を聞いていると、お二人ともすごくポジティブ。働くことにすごく前向きだなと感じた。
そんなお二人が入社の決め手だとお話ししてくれた社長の高橋さん。高橋さんが会社を立ち上げたきっかけは何だったのだろう?
きっかけは「9.11」。福岡発、企業専門のインターネットテレビ局とは
社長の高橋さんが創業したのは2001年9月11日にアメリカで起きた『9.11』テロの取材がきっかけだとか。
「『9.11』が発生した4日後、現地派遣を命じられ現地に飛びました。その時、取材に応じてくださったのは、最愛の夫を亡くしたジェシカさんでした。身の上話を涙ながらに伺ったあと、最後に言われた言葉に衝撃を受けました。『あなたを通じて全ての視聴者に伝えて欲しいことがあるの。あなたの人生も、あなたの大切な人の人生も、今日終わるかもしれない。もし今日死ぬとしたら、あなたの人生が今日で終わるとしたら、胸をはってイエスと言えますか?』って」
「その時僕は、胸を張ってイエス、と答えられませんでした」
テレビ局で働いていた20代。社会的に恵まれた仕事だけど、取材するのは事件・事故・不祥事といった世の中のネガティブニュース。それを取材し撒き散らす仕事に違和感を持っていた高橋さん。
「あるとき、気づいたんです。時々担当するヒューマンドキュメンタリーのようなポジティブコンテンツは取材される人も嬉しいし、見る人も嬉しい。元気が出る、勇気がわく、こういう仕事をしたいなって」
その後、2年かけてテレビ局を離れる決断をした。
「一度きりの人生を悔いなく生きる。とにかく『ポジティブ100%のコンテンツだけを制作するテレビ局』を作ると決めたんです」
「社員とその家族もしあわせに」カウテレビジョンが大切にしている価値観とは
その後2004年に創業したカウテレビジョンは、現在26名が働いている。
26名中、女性が16名。
残業が多い、徹夜、といったイメージがある制作会社において、半分以上が女性というのは珍しいのではないだろうか。
「残業は主に繁忙期のみ、徹夜は一切ありません。特にママクルーが加わってからは、若手社員たちの残業はぐっと減りました。働くうえで大事なことは長く継続して勤めるという事だと思っています。個人としても家族としても、生活の安定・安心を考えると、コロコロ仕事が変わるというのは心配でしょうがないですよね」
「また、大事にしている価値観として、身近な人から応援される会社でありたいというのがあり、社員とその家族が参加できる『家族懇親会』や新卒社員のご両親を訪問する『内定者家庭訪問』、ご両親の誕生日に休みを取れる『親孝行ホリデー』なんていう制度も設けています」
「家族が一番」と話す高橋さんは、6年前にご自身の父親の最期をみとることが出来た。
その時、「この会社で働いていたからできたんだ」と改めて感じたのだとか。だからこそ一緒に働く社員の家族まで大事にしたい、という想いが強いのかもしれない。
「家族の一大事の時には、そばにいられる環境を本気で追及したいって思っています。損得勘定ではなく、それが安心して働けるベースになると思うんです」
一緒に働く社員とその家族も幸せに……そこに至るまで、様々な苦労があった。
「創業7年目までは2~3年で離職する社員が沢山いました。2011年5月には私と妻を入れて当時5人しかいなかった社員のうち、No.2とNo.3が同時に辞めたいと言ってきたんですね」
「『どんなに良い番組が作れても、良い営業ができても、人としてついていけない』とズバッと言われました」
その当時、「先輩たちが辞めても僕は辞めませんから、一緒にいい会社作りましょうよ」と言って唯一残ってくれた一番若手の社員が、現執行役員の元吉さんだ。
「いや~本当にこんなことを言ってくれる優しい社員がいるのかなって……。彼がこの会社に入ってよかったって思わなかったら、意味がない、存在していること自体が罪だ、僕が起業した意味はないなと。そこから、この会社に入ってよかった、あなたに出会えてよかったと思ってもらうことをまず目標にしようと心に決めました」
そこから10年。高橋さん自身の中でテーマに置いているのが『寛容の精神』。
つまり、「まぁいっか、それもあるよね」という精神で自分自身を変えていったそう。
もう一つ、わが社には『どうすればできるか思考』と言ういい言葉があって、常にどうすればできるかっていう考えを持てと言っています。できない理由を100個考える人よりもできる方法を1個考える人の方がいいってね。その価値観があるので、自分の課題は必ずクリアできると今も思っています」
話の中で高橋さんがこうおっしゃいました。
「一に共感、二に人柄、三四が無くて五に能力、だと思っています。まずは事業に対する共感がないと。ドキュメンタリーの形式で企業の魅力を伝える、という当社の理念に共感してない人は、いくら能力があっても続かないんですよね。逆に長く働き続けていれば、それぞれに必ず活躍の機会は訪れるんです。それぐらい一人ひとりのウエイトが大きい会社です」
この会社には高橋さんの想いに共感した人が集まっている、それが働くことに前向きなママクルーの秘密なのかもしれません。
みんなが家族のように温かい、そんな会社で働いてみたい人。
「この指とまれ!」
※撮影時はマスクを外していただきました。